大判例

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東京高等裁判所 昭和61年(う)1429号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人杉田雅彦が提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官清澤義雄が提出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらをここに引用する。

所論は、要するに、原判決は被告人が自車をA運転の自動車に追突させた結果同人及び同車助手席に同乗中のBに判示各傷害を負わせた旨認定しているが、本件追突により右両名が負傷したと認定できる証拠はないから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。

そこで、所論にかんがみ、記録を精査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討することとする。

一  関係証拠上明らかな事実は、以下のとおりである。

1  被告人は、昭和六〇年八月二日午後一時三〇分ころ、普通(軽)貨物自動車(以下「被告人車」という。)を運転し、清水市中之郷八〇〇番地付近道路を谷田方面から鳥坂方面に向かって進行中、交差点の手前で信号待ちのために前方の車両に続いて停止したA(当時四四歳。以下「A」という。)運転の普通(軽)貨物自動車(以下「A車」という。)の後方に停車したが、前方の車両が順次動き出したので、A車も続いて発進するものと軽信し、汗をぬぐうタオルを取るのに気を取られて漫然と発進し、約〇・五メートルに接近してはじめてA車が発進していないのに気づき、急制動の措置を取ったが間に合わず、自車をA車に追突させ、同車を前方に約一メートル押し出した。

2  右現場は下り勾配約二度の平坦なアスファルト舗装の道路であり、当時乾燥していた。被告人車は車両重量五五〇キログラムで、当時助手席にC(当時五四歳。以下「C」という。)が同乗し、積載品はなく、また、A車は車両重量五三〇キログラムで、助手席にB(当時一七歳。以下「B」という。)が同乗し、積載品はなかった。

3  右追突の結果被告人車の前部バンパーとボンネットの先端部分がそれぞれA車のスペアタイヤと後部バタ板に当たり、被告人車の前部バンパーの黒いカバーが若干つやを失い、ボンネットの先端部分が若干へこみ、ボンネットフードパネルが屈曲して若干浮き上り、A車の後部バタ板に被告人車ボンネット先端の塗料が数点付着した。

4  追突直後にAと被告人車の同乗者Cとが話し合って、人身事故はなく、物損も軽微であるとして、警察には届けなかったが、その翌日の同月三日にAから被告人方に前夜首が痛くなったので病院に行く旨の電話があり、被告人は保険会社の係の者と相談のうえ、同月五日に警察に届け出た。

5  A及びBは、同月三日整形外科医師D(以下「D医師」という。)の診察を受けた。Aは加療約三週間を要する頸椎捻挫、頸髄神経症と診断され、同年一〇月三日まで二八回通院して治療を受け、Bは加療約二週間を要する外傷性頸髄神経症と診断され、同年八月三〇日まで一四回通院して治療を受けた。

二  本件追突によりA、Bの両名が受けた衝撃に関する証拠は、以下のとおりである。

1  A、B両名の被追突時の姿勢につき、右両名とも原審において体は正面を向き、背中の下三分の二は背もたれにつけ、互いに顔をわずかに相手方に向けて話をしていた旨供述している。

2(一)  Aは、原審において、追突されたとき、首が後ろにガクッとして、後頭部がヘッドレストに少し当たった、衝撃は軽かった旨を供述している。

(二)  Bは、原審において、追突されたとき、一瞬体が前にガクッとして、胸が痛くなったが、首の揺れは大したことはなく、後頭部はヘッドレストに当たらなかった旨を供述している。

3  A車の制動措置について、Aは原審においてサイドブレーキを引いていた旨供述していたが、当審においてフットブレーキであったかもしれない、その場合は追突されてとっさに足を離したかもわからない旨を供述しているところ、現場が下り勾配であることなどに照らし、いずれかのブレーキを掛けていたことは認められるが、前記の事情で警察への届出が遅れた結果、実況見分は四日後に雨の中で行われ、現場にスリップ痕は確認されていないこと、昭和六〇年一二月一九日に日動自動車損害調査株式会社のインスペクター中川一二三によって行われた実験においてA車のサイドブレーキを掛けると成人男性三名で押しても同車は全く動かなかったことなど証拠上明らかな事実に徴し、A車がサイドブレーキを掛けていたとするには疑問が残り、フットブレーキを掛けていただけであったと認めるのが相当である。

4  A車の受ける衝撃加速度につき、当審で取調べた鑑定人木村康は、同人作成の鑑定書(検察官作成の平成元年五月八日付電話聴取書により訂正されたもの)及び証言(以下両者を併せて「木村鑑定」という。)において、同車の移動距離及び現場道路の状況を基礎として同車のとび出し速度を時速五・四キロメートルと推定し、衝撃加速度は右とび出し速度から〇・七六Gと推定される旨をいう。同じく、当審で取調べた鑑定人松野正徳は、同人作成の鑑定書(同人作成の平成元年六月二一日付訂正書により訂正されたもの)及び証言(以下両者を併せて「松野鑑定」という。)において、同車の移動距離及び現場道路の状況を基礎とすると、同車のとび出し速度は時速五・四キロメートル毎時と推定される(この点においては前記木村鑑定と同一である。)が、その値は同車及び被告人車の破損が軽微であることからして過大であると思われ、被告人車前部バンパーに生じた永久変形量を基礎として、A車のとび出し速度を時速四・〇六キロメートル毎時と推定し、衝撃加速度は右とび出し速度から〇・六〇Gと推定される旨をいう。

三  そこで、A、Bの両名が本件追突により原判示傷害を負ったか否かにつき検討する。

1  木村鑑定は、〈イ〉A車が受けたと思料される衝撃加速度〇・七六Gは通常鞭打ち症候群を発症せしめる値ではない、しかし、〈ロ〉本件において、詐病と疑われる節もあるが、当職としてはこれを詐病と断定するまでの根拠は見い出しえない、〈ハ〉仮に傷害が生じているものとすると、被追突時に生じた軽い靱帯等軟部組織の傷害が心因的要因によって増幅されたものと推察せざるを得ないが、日常生活上寝違い等で生じる強ばりの類いであり、一、二日で回復するような極めて軽い傷害であったと思料する、〈ニ〉通常一、二日で回復する程度の傷害が長引いたとすれば、それは頸椎捻挫の急性期に禁忌とされている電動式牽引を初診時から実施したことによるものと判断する(後記2(二)、(三)参照。)、としている。これに対し、松野鑑定は、各種手法により多角的に検討し、〇・六〇Gの本件衝撃によりA及びBが鞭打ち症を負うことはありえない、としている。

いずれの鑑定によっても、A及びBが受けた物理的衝撃は軽いものであったと認められるが、衝撃を受けた者の生理的、心理的素質、衝突時の姿勢その他を考慮に入れてもそのような軽度の衝撃で受傷することはあり得ないと直ちに言い切ることはできないと思われる。

2  更に他の関係証拠を検討する。

(一)  Aは、原審証言において、「自分は運転席に腰掛け、助手席のBの方を向いて話しているとき、追突され、衝撃は軽かったが首が後ろへガクッとし、後頭部がヘッドレストに少し当たった。そのときは何でもなかったが、夜になって頭と首が痛くなり、その翌日の八月三日から治療を受けた。最後はまだ完全に治っていなかったが、医者に『保険屋の方でなんだかんだ言ってくるので、いい加減でいいにしろ。』と言われて通院をやめた。」旨を、Bは、原審及び当審証言において、「助手席で右を向いてAと話しているとき追突され、身体が前のめりになり胸が痛くなった。首の揺れは大したことはなく、頭はヘッドレストに当たっていない。夜になって頭が重く首が痛くなり、翌日の八月三日から治療を受けた。九月二日に事故を起こし、保険屋から前の事故(本件追突事故を指す。)による治療は打切ってくれといわれた。」旨をそれぞれ供述している。

(二)  D医師は、原審証言において、「昭和六〇年八月三日A、Bの両名を診察した。Aにつき、我々をして鞭打ち症があると判定させるものがあったのでその旨診断した。Bについては、特筆すべき所見はなく、程度が軽いので、外傷性頸髄神経症としておいた。治療の全期間を通じて電動式牽引を加えた。」旨供述している。

(三)  D医師の診断について、木村鑑定は、「鞭打ち症候群の診察には、問診、触診ほか各種検査があるが、触診により圧痛点、運動痛、頸部運動の可動範囲等を検査し、更に、必要に応じて椎間孔圧迫テスト(スパーリングテスト、ジャクソンテスト等)、反射検査、知覚テスト、筋力テスト、平衡機能テスト、単純レントゲン検査、筋電図検査等を実施する。ところが、本件においてD医師は、問診、単に圧迫して圧痛点や運動痛等を検査する触診とレントゲン検査を実施したのみである。また、D医師は、A、Bに対し、初診時から一般に頸椎捻挫の急性期には禁忌とされている電動式牽引を実施している。したがって、D医師の鞭打ち症候群についての診療知識にはいささか疑念を抱かざるを得ない。」旨批判を加えている。

3  以上の証拠関係に基づき考察するに、〈1〉本件追突によりA車が受けた衝撃は通常頸椎捻挫等の鞭打ち症候群を生ぜしめる程度に達するものではないこと、〈2〉D医師はA及びBがそれぞれ頸椎に受傷していたと診断しているが、その根拠とした所見に関し、Aについては「我々をして鞭打ち症があると判定せしめるものがあった。」旨抽象的にいうのみで具体的な所見を示しておらず、また、Bについては「特筆すべき所見はなかった。」旨をいっているのであって、診断の根拠が明確でないのみならず、木村鑑定の批判に照らすと、D医師の頸腕症候群の診断及び治療知識が今日の医学界の水準に達しているのか疑念が残るといわざるを得ないのであって、D医師の右診断結果に直ちに依拠することはできず、ほかにA、Bの受傷をいう愁訴を裏付けるに足りる証拠はないこと(なお、木村鑑定が本件衝突による傷害は寝違い等で起こる強張りの類いであって、一、二日で回復するような極めて軽い傷害であり、治療が長引いたのは電動式牽引の適用を誤ったためと判断するというのは、本件衝突により現に右のような傷害が発生し、それが長期にわたって治癒しないで残存したことを事実として述べているのではなく、仮に傷害が発生したとしても、極めて軽い傷害であったと思われ、また、仮にその傷害が治癒まで長引いたとしても、その原因は誤った治療にあったと判断するとの仮言的な立論をしているにすぎない。)、〈3〉Aは原審証言において本件の約四日後に店舗解体工事の跡片付けなどの作業をしたことを認めており、このような力仕事をした事実は頸腕症候群の存在に疑問を投じるものであり(木村証言参照。なお、Aの右証言によれば、同人は昭和五八年一〇月にも事故にあって三週間ほど治療を受けたことがあるということである。)、また、Bは原審証言において昭和六〇年九月二日バイクを運転して自動車と出合いがしらの交通事故を起こしたことを認めていること(なお、Bの右証言によれば、その結果保険会社から本件事故に基づく医療費給付の打切りを通告されたということである。)などを併せ考えると、A、Bの愁訴が詐病であるとまで断定できるかどうかは別論として、頸部等の痛みを訴えるA、Bの各証言に信を措くには躊躇を感ぜざるを得ず、結局、両名の受傷を認定するには疑問が残るというほかはない。

四  以上のとおり、本件事故によりA、Bの両名が原判示傷害を負った事実を認めるに足りる証拠はなく、結局、原判示各業務上過失傷害の事実は犯罪の証明があったとはいえないから、右事実を認定して被告人を有罪とした原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというべきである。論旨は理由がある。

よって、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により更に次のとおり判決する。

本件公訴事実(検察官の原審第四回公判期日における釈明及び原審第六回公判期日における訂正を経たもの。)は、「被告人は、昭和六〇年八月二日午後一時三〇分ころ、業務として普通貨物自動車を運転し、清水市中之郷八〇〇番地先道路を谷田方面から鳥坂方面に向かい進行中、A(当時四三年)運転の普通貨物自動車の後方に一時停止後同車に続いて発進するにあたり、同車の動静を注視し、同車が発進したのを確認して発進すべき注意義務があるのに、前方車両が動き出したので同車も間もなく発進するものと軽信し、同車との安全を確認しないで漫然発進した過失により、自車を同車に衝突させ、よって右Aに加療約三週間を要する頸椎捻挫等の傷害を、同車に同乗中のB(当時一七年)に加療二週間を要する外傷性頸椎神経症の傷害を各負わせたものである。」というのであるが、前示のとおり、本件証拠上被告人が自車をA運転の普通貨物自動車に衝突させた事実は認められるが、その結果同人及びBに傷害を負わせた事実を認めることはできず、右公訴事実は犯罪の証明がないことに帰するから、刑訴法四〇四条、三三六条により無罪の言渡しをすることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 内藤丈夫 裁判官 藤井登葵夫 裁判官 本吉邦夫)

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